昭和の雑学
年号が令和に変わりもう6年です。 当社の開業は平成最後の年でした。
最近、お会いする方で平成生まれというかたが増えてきて、もしかしたら昭和という年号があったこと知らないのではなかろうかとという不安を覚えますが、平成生まれの皆さん、実は昭和と呼ばれる時代があったんです。割と何でもありありで楽しかったと思います。コンプライアンスなんてものもとりあえずあるけど…って感じでした。
今やったら大問題なことも昭和では許されていたとか、普通に受け入れていたなどもあります。
本日はその昭和の雑学です。
健康食品として「紅茶キノコ」というものが流行った
別名コンブチャとも呼ばれる発行飲料です。緑茶や紅茶に砂糖と酢酸菌とゲル状の菌類であるスコビーを入れて発酵させて作るもので、発行の際にきのこ状のものができる。紅茶で作ることが多かった日本では紅茶キノコと呼ばれるようになった。
サンドイッチマンという広告看板を体の表と裏に括り付け街中を歩く職業があった。
芸人の方じゃないですよ。特に繁華街ではよく見ました。そこにプラカード持ってどんだけ宣伝したいんだよって感じの人もいました。
昭和のテレビでは規制がなくゴールデンタイムの番組で女性の裸が放送されていた。
ドリフのコントなんかでも普通に出てきて、普通にそれを受け入れているお茶の間もありました。
昭和では電車内の喫煙にも制限がなかった。
逆に普通に灰皿がついてましたね。
昭和の学校は週休1日制
私が小学生のころに月に一度週休2日制が試験的に取り入れられ、月の偶数週が週休二日になり、よく休みの土曜日と登校の土曜を間違えて遅刻か休みにしてました。逆に休みなのに間違えて登校したってことはないんですけどね。
昭和では雑誌の文通コーナーに住所と名前が載っていた。
今そんなことしたら大問題ですね。でもこれ本当にありました。
昭和の学校にはゴミを燃やす焼却炉があった。
これは通ってた小学校にはなかったけど、普通に近くの中学校や高校にはありました。
昭和の学校給食ではクジラ肉が使われたメニューが出ていた。
多分食べたんじゃないでしょうか?
給食を全部食べられないと昼休み返上で、全部食べるまで片づけを許されないという謎の慣習があった
これ今の時代なら保護者が大騒ぎするでしょうね。自分のクラスだけかと思ってましたが、他のクラスでも似たようなことあったようです。
給食を残す際は先生に許可を取るという許可制があった。
これも全国的に広がっていった謎ルールですね。食品アレルギーの子なんて大変だったでしょう。
これも今やったら大問題でしょう。
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