多分使える雑学

またいつもの感じです。


浦島太郎のその後

竜宮城から戻ると、浦島太郎の知り合いはみんなお亡くなりになっており、途方に暮れて玉手箱を開けると、中から白い煙が出てきておじいさんになってそこで浦島太郎のお話は終了です。

でも後日談があり、年老いた浦島太郎は鶴になり仙人の住む蓬莱山に飛び、伊丹の浦島の神様となって人々を救う。乙姫様もカメとなり浦島に現れ、二人は夫婦の神様になるという続きがあります。

それが現代のおめでたいものの象徴として鶴と亀が飾られている起源となってます。


キツネは肉食なのに、なぜお稲荷さんには油揚げをお供えするのか

商売繁盛の神様として人気のある稲荷神社(通称お稲荷さん)には白いきつねが2匹いて、たいてい油揚げがお供えしてある。キツネは肉食だから大豆由来の油揚げは好物ではないのに何で?って思ったことないですか?

実は昔の人がネズミに畑を荒らされて困っているときにキツネがネズミを捕まえてくれたことに感謝して、巣穴に農作物を置いたがどれも食べなかった。唯一キツネが食べられるのが、油揚げだった。それをキツネの好物と勘違いしてキツネにあげるようになったことが、今のお稲荷さんに油揚げを備える起源となった。


東京タワーの元材料

東京の代表的な観光名所の一つ東京タワー。スカイツリーができても今なお人気です。1975年に建設工事が始まり333mの高さは当時では前代未聞の高さ。このタワーを作るのに膨大な鉄が必要とされたが、この鉄の調達に当時頭を悩ませていたそうです。

そこで業者は朝鮮戦争で使用されたアメリカの戦車に着目。約3000両を買い取り日本に運んで鉄骨用に溶かして使ったそうです。


金平糖の突起の数36個

これは前に雑学でやりましたが、なぜ36個かというとこんな理由でした。

金平糖はもともとポルトガル語の「コンフェイト」が語源。戦国時代にポルトガルから日本に伝わりました。1569年に宣教師ルイス・フロストが二条城で信長に献上。当時甘い物が無かった時代に信長は大喜び。

江戸時代になると長崎で作られるようになり幕府に献上された。

その時に金平糖の突起が36個と決められ役人が一つ一つ数えていたそうですが、この36という数字が全宇宙を表す数字だったそうです。


なぜランドセルと呼び、小学校に上がるときに送るのか

皆様お世話になったことのあるランドセル。なぜ鞄でもリュックでもなくランドセルなのか?そしておじいちゃんおばあちゃんがなんで送るという風習なのか?

江戸時代の終わりに幕府は兵たちたちが自分の荷物を運ぶためにの誠意尾鞄をオランダから取り入れた。それがオランダ語でランセルといった。そのランセルが次第にランドセルになった。

1887年皇太子だった大正天皇が、学習院初等科に乳がkするのを祝って伊藤風呂踏みが革製のランドセルを献上した。これが起源となり小学校に上がるときにランドセルを贈る風習がいつしか根付いた。


なんでお守りの中を見ちゃいけないの?

始めた言われたのは七五三の時に神主さんから言われました。あんまり深く考えたことはなかったですが、中に神様がいるから開けてはいけないって言われた気がします。子供ながらに神様をこんな狭いところに閉じ込めておくのは、かわいそうなんじゃないかと思いましたが、中には護符が入っています。どうしても見たいなら開けてもいいようです。でもその後府は神社の本殿で祝詞を上げ神様を宿らせています。つまりは携帯する神社ということです。

神聖なものだから興味本位で袋を開けて傷をつけたり汚さないようにということで、開けてはいけないという風になったそうです。


神社やお寺にハトが多いわけ。

神社やお寺にはカワラバトという種類のハトがいます。

1500年前の飛鳥時代に日本にやってきました。その頃から八百万の神のお使いとして大切にされていました。またお寺でも折衝をしないということから餌槍を大切にしました。カワラバトは繁殖力が非常に強く餌さえたくさんあれば年に何度も増えます。

その結果お寺や神社にはハトがたくさん住むようになったということですが、今では増えすぎてフンによる被害も問題です。


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