桂歌丸の名言

桂歌丸師匠は落語家で日本の国民的長寿番組、笑点の司会を務められた方です

苦労を笑い話にできるまで努力する 


背負った苦労を、 一度フィルターにかけて、 陽気な笑い話に変える。これが噺家の仕事です。


苦労しっぱなしだと 芸に苦労が染み込んでしまう。だから笑い話になるくらいまで 苦労を突き破り乗り越えろ、というわけ 

とにかく陽気な噺でお客さんを 笑わせるのが一番だと。そういう素直な気持ちになると 不思議と受けるんですね。


褒める人間は敵と思え。教えてくれる人、注意してくれる人は味方と思え。

その道が広くなるか狭くなるか。平らな道かデコボコ道か。それは自分の歩き方次第。

ことによると、 途中で土砂崩れに あうかもしれません。でも、わたしには この道しかないんです。


私が古典が大事だと思うのはね、その噺のなかに、今も通じる 義理人情の道理ってのが 必ず込められているからです。


しゃべり上手は聞き上手 幾つになっても 若手に学ぼうとする 心意気と情熱を 持ち続けることが大事 


薄情な人間には 、薄情な落語しかできない。人情味のある人だから、人情味のある芸ができる。まさに「芸は人なり」なんです。


楽になるのは 目をつぶる時でいい。苦労するから 最期は楽に目をつぶれる。楽だけしたって いいことなんて ありませんから。


どうしたら話がうまくなるのか。逆説的ですが、人の話を聞くことです。人の話を理解しようと努めれば、 自分にない人の性質や発言の真意を 想像するでしょう。ひいては、聞き上手が話し上手になり、 芸が上達するんです。


落語家にとって噺は財産。苦しい思いをした分だけ 財産は増えていく。


あたしは自分の弟子に 「勉強しろ」とは言いません。弟子だって 真打ちになったら 一本立ち。自分で責任をもって がんばっていくしかない。


自分の間を拵えた人間が勝ち。それは自分で研究し、掴むしかないんです。


噺家人生を振り返ると 山あり谷あり よくここまで来たなぁ と思います。

最近になって やっと平地に足が着いて 歩いている感覚があります。芸が少しうまくなったら そこはキープしなければ いけない。そしてまた上がって またキープ。 落ちてしまったらいけない。

いかに平地を増やして 登り続けるかが大事なんだと 思います。


楽になるのは 目をつぶる時でいい。苦労するから 最期は楽に目をつぶれる。

 楽だけしたって いいことなんて ありませんから。


私たち落語家は、 噺でお客さんに 楽しんでもらう商売です。肝心なのは、お客さんの頭の中に 情景を浮かばせること。欲を言えば、その情景に色をつけて 届けたい。


素敵な嘘で お客さんを惹き込むには、当然話がうまく あり続けなくてはならない。ですから、今でも高座に上がり、芸を磨き続けるんです。


ニ十才を過ぎた人間に モノを教えることは何もない。ニ十才を過ぎた人間は大人だ 。ニ十才を過ぎたら 自分で気づくよりほかない 。


古典とはいえ、 変えていいものもある。省いていいものもある。現代に通じるものを 入れなくちゃいけない 場合もあります。でも、どうやっても 直しちゃいけない 言葉もあるんです。


噺を教わった人よりもうけて 初めてその人への 恩返しになる


私にとって寄席は道場です。高座に上がれば真剣勝負。お客様も刀を抜いて 構えているから、 こっちも構える。下手すれば切られる。だから、どんなに 短い噺(はなし)でも、バカバカしい噺でも、決して手は抜けません 


修業は一生涯に及びます。

ですから、「辛抱」も また一生涯ということです。

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